気まぐれ日記 2010年5月

2010年4月はここ

5月1日(土)「潮の良い日・・・の風さん」
 海に近い観光地に住んでいる。
 今日から潮の良い日が続くので、潮干狩り客がたくさん当地を訪れる。
 執筆に専念しなければいけない私は、家から一歩も出ることなく、世間から距離を置いたままだ。
 それにしても良い天気だ。
 実は、昨日も今日も遊びに行く予定が検討されていた。結果としてどこへも行かなかったことで、宅配をたくさん、無事に受け取ることができた。飛脚やペリカンやクロネコや、とにかくたくさんやってくる家だ。
 執筆は小説で、なるべく調べず、ストーリー展開にこだわることでスタートした。
 ようやく小説家に復帰した気がしてきた。
 就寝前に岩崎京子さんの『建具職人の千太郎』を読んだ。しっかり取材して書かれた作品だった。こういう作品は安心して読める。おとなが子供に課題図書として与える理由が分かった気がした。ご高齢の著者のご努力に敬意を表したい。

5月2日(日)「朝からムッとした話・・・の風さん」
 新聞の一面に医療費の不正請求のことが出ていた。法律違反だというのである。この問題を新聞が取り上げるなら、法律違反よりも、その背景にある高齢者医療のしくみの不備・不足を指摘するべきだろう。
 もうすぐ日本は4人に1人が65歳以上になる。医学の進歩のお陰で死なないけれども、ボケたり病気したりしていて、おまけに稼ぐことができない。そういう世の中になる。原資が限られているなら、福祉への配分を増やすべきだし、豊かな生活を維持向上したいなら、国民はもっと税を納めなければならない。
 今回のようなお年寄りはますます増えるだろう。どういうお年寄りかと言うと、病院には入れない人たちだ。しかし、経管の食事しかとれないために、一日三度の介護が必須となる。家庭で面倒がみれなければ、特別な有料老人ホームに入るしかない。とんでもない費用がかかるだろう。それが、わずか月に15万円で入居できる施設があったのだ。他の費用は公費である。その請求の仕方に不正の疑いがきわめて濃厚だというのである。裕福な家庭と業者がつるんで犯した罪なら、当然断罪されるべきだろうが、入居している200人が全部そのケースだろうか。
 法律に違反しているのではないか、と指摘すれば確かにそうだろう。
 それでも、今回の例は背景にある問題をあぶり出す縮図として見るべきだ。報道機関はそれこそ問題にすべきだ。
 でなければ、今回の問題をきっかけに、入居している200人のお年寄りとその家族が、追い出されるだけで終わってしまう。
 正義感に燃えるのはカッコいいかもしれないが、問題の背景や本質を「なぜ」「なぜ」を繰り返して突き詰める姿勢が大切である。法律など、時代や環境変化でいくらでも変わってしまうが、人間の喜びや悲しみは、永遠に本質である。

5月2日(日)「若さとポテンシャル・・・の風さん」
 ついつい執筆中にもネットの最新ニュースを読んでしまう。
 今日はすばらしいニュースだった。石川遼の驚異的なスコア58を出しての逆転優勝。
 技術屋なのでポテンシャルという言葉を使ってしまうが、高いポテンシャルを示せることがその人の大きさだ。
 たいてい若いときにそれは証明される。
 私は56歳だが、いつも「挑戦」「挑戦」と言っている。今ごろになってポテンシャルを示せるだろうか。
 宮里藍も再び首位に立っている。彼女のポテンシャルが示される何度目かのチャンスだ。
 やはり彼女も若いか(笑)。
 実は、私は阪神の隠れファンである。強いときだけ応援する都合の良いファンだ。
 今夜、5連勝で首位に立った。藤川球児がまたしめくくった。巨人を叩いての首位は意味がある。一種のポテンシャルだと思いたい。
 阪神は若い?

5月3日(月)「スポーツ選手はすごい・・・の風さん」
 私のGWも残り3日となってしまった。
 残務整理もしながら執筆に専念する日々が続いたが、もう残務整理をしている余裕もない。
 それどころか、このGW中に仕上げるはずだった論文すら着手できそうもない。書きかけの論文が入ったノートパソコン「アシュレイ」のバッテリ切れを防止するのが精一杯だ。
 昨日に続いて、若さの爆発だ。もちろん私のことではない、残念ながら。宮里藍も優勝した。今季3勝目というからすごい。今年はどこまでいけるか、楽しみである。
 プロゴルフだけではないな。女子短距離で福島千里選手がまたまた日本新記録だ。すごい、としか言いようがない。
 てな感じで、スポーツ選手によって良いニュースがもたらされるので、例のスクープなんかかすんでしまう。不備な法律が整備されれば消えてしまう話題だもの。
 今日は徹夜態勢になる。

5月4日(火)「ひたすらキーボード打ち・・・の風さん」
 結局、今朝の6時に就寝した。完全徹夜は困難。でも、10時に起床したので、頑張った甲斐はあったかも。
 昨日は各地で夏日になったらしい。確かに暑かった。今日も気温が上昇しそうなので、少し薄着に替え、書斎の窓も開けて風通しをよくした。身の回りを眺めると、今年の目標にしていた書斎の模様替えはまだ当分やれそうにないことをあらためて思い、やや落ち込む。
 今日もひたすらキーボード打ち込みに専念した。
 このペースでいくと、連休中の論文作成も全く手付かずになりそうだ。
 どうも当初の思惑からずれていくばっかりだ。どこかの首相と違って罪は軽いだろうが、すべて自分で解決していかなければならないので、罪は軽くとも気は重い。
 午前零時近くなって、ゴールが見えてきた。
 その頃、事件が起きた。不愉快な情報がネットで見つかったのだ。説明はご容赦願おう。明るく前向きの風さんにもつらいことはある。
 階下へ降りて、インターホンでログのワイフへ伝言。
 「今から自棄酒飲むからね」
 「あ、そう」

5月5日(水)「鳩ぽっぽ・・・の風さん」
 とうとうGWの最終日である。ついに全く外出しないまま終わってしまう。書斎に籠もったままだった。まるで小説家みたい……って小説家じゃねえか(笑)。
 最初は連載原稿を書いていた。それが終わってすぐ、秋に出版予定の小説の執筆に着手。本来楽しい仕事になるはずだった。
 が、やはり小説は簡単に書けない。
 小説を書くということは、人生の色々な場面で悩むのと同じことを机上でやるんだよ(えっへん)。
 結局、最終日に今日は「やるっきゃない」状態に突入した。
 結局、午前零時過ぎに、やっと予定した初稿の3分の1ができただけだった。
 「だめだった〜。途中までだ。残りがいつ出せるか分からない」
 憔悴しきった私にいつものようにワイフの檄が飛ぶ。
 「いつも大言壮語して最後はできなかった。駄目じゃないの!」
 「ぽっぽー」
 「なにそれ?」
 「鳩の鳴き声」
 「?」
 「どこかの国の首相と同じだなと反省してる」
 「笑わせるわね」
 かろうじて午前3時前には就寝できたが……。
 
5月6日(木)「冬冬夏夏・・・の風さん」
 出社すると仕事をしてしまう。そりゃ当然か(笑)。でも、何となく悔しい。家にいればあれこれできるのに……。
 寝不足で眠かった。
 そして、暑かった。
 ここ数日、初夏の暑さだったので、帰宅して、半袖Tシャツと半ズボンにしたら、ワイフから
 「あなたの部屋着は、冬バージョンか夏バージョンしかないのね」
 と言われた。
 実は、家にいるときの服装は全く気にしていない(外見を)。
 執筆に集中するためだが、それでもできないものはできない。
 結局、寝不足を引きずって帰宅したので、眠くて執筆ができないまま、ベッドに倒れ込んだ。
 
5月7日(金)「夜中に変な音・・・の風さん」
 天気予報通りに朝から雨である。しかも本格的な雨。夕方まで降水確率が90%なので、突然晴れることは期待できない。
 しかし、世の中には変な人がいるみたいで、ネットで「誰でも天気予報」みたいな、きわめてスポット的な天気をリアルタイムで投稿することで知ることができるのだが、「晴れ」などと投稿している奴がいる。周囲に高いビルが全くない製作所から、広々とした空を眺めても、晴れ間など微塵も見当たらない。恐ろしい世の中である。
 久しぶりに論文作成に取り組んでいるがサッパリ進まない。明日は大野先生とゼミである。
 天気も悪いし、気分も低調だ。さっさと退社して論文作成に集中しよう。
 そう思って帰宅したのはよかったが、連日また不摂生な生活をしているので、先ずは体を休めることから始めた(笑)。
 そして、やっと集中力が出たときは、もう午前零時である。
 「今日はぶっ倒れるまでやるから」
 とワイフに宣言して、また書斎へ。
 午前3時過ぎに、早くも限界になった。
 またまた体を休めようと、いつものように書斎の床に寝転がったら、近くで怪しい音がする。
 じりじりじり……。
 何か物体が不安定でこすれて音がしているのかと、あちこち押したり引いたりしてみたが、……またしばらくして、
 じりじりじり……。
 気色悪いので、恐る恐る寝室へ入って、そのままベッドにもぐり込んだ。 
 
5月8日(土)「老いぼれミッシェルと共に・・・の風さん」
 今日は昨日とうって変わって晴れ。
 ゆっくり朝食を摂っている余裕もないので、ブラックコーヒーだけもらって書斎へ直行。
 論文の続き。
 小説を書くのも論文を書くのも、書き手が一緒だと同じ精神作用の元に作業が進む。
 だから私の小説を論文みたいだと言う人がいるのだ。逆に、私の論文を小説みたいだと言う人はいないが(当然だ)。
 昼近くなっても最後までたどり着かない。
 しかし、出発しなければいけない時刻が近い。
 階下へ降りて、冷めたおにぎりを2個、たくあんをおかずに胃におさめる。
 冷たい缶コーヒーももらって家を出た。
 「気を付けてね」
 ワイフが本気で心配している。
 大丈夫だ。今日より不調のときは何度でもあった、この半年ほどの間に……。
 知多半島道路も名古屋高速も空いていた。
 最初に本山キャンパスへ寄って、借りっぱなしの駐車許可証を返却し、またパンフレットをもらい、ついでに近くの百円ショップに寄って(目的の物なし!)、それから初めて自由ヶ丘キャンパスへ向かった。
 住宅地の中に立派な建物があった。そこが愛工大自由ヶ丘キャンパス。
 ミッシェルを停めて、玄関から入って行ったら、警備員が「お待ちしていました」てな感じで迎えてくれた。
 大きな4階建てのビルに、あと生命体は大野教授だけである。
 先生のお部屋が八草キャンパスからここへ越したのだそうだ。
 2時間のゼミだか雑談だか分からない時間を過ごして、自由ヶ丘キャンパスを後にした。
 天気がよくて、道路も比較的空いていて、最高のドライブ日和だったが、エアコンを使っている分パワーを食っている。
 馬力当り重量が約7kgという、走り屋ミッシェルだが、私と同じで老いぼれてきている。
 それでもまあまあ快調に走った。
 中古車屋で切れたフォグランプをタダで交換してもらえたのは助かった。
 歯医者での治療を終え、給油もして、無事に帰宅したのは、午後8時だった。
  
5月9日(日)「今日は小説執筆・・・の風さん」
 朝から小説の執筆に専念。先週の水曜日に出版社へ送ってから、論文にかかりっきりで、久しぶりのような感じ。とにかく今夜またできたところまで送るつもりだ。
 ……ではあるが、他に何もやらなくてもいい、なんて状態ではない。
 実は、何年も前から地元で文章教室をやりたいと思っていた。その試行という位置付けで、今年から文章サークルをやってみようと思っている。きわめて身近なところにどれだけのニーズがあるか、調べてもらったところ、何とか集まりそうだった。それで、やってみることに決めた。
 今日は、念のため、近所でせっせと執筆を続けている方に電話して、意向をうかがったところ、大いに興味があるとのことだった。
 それが確認できてから、地元の図書館へ電話して、第1回をいつやるか相談した。
 来月初めにやりましょう、ということになった。
 いよいよ、である。
 結局、小説の執筆は午前1時近くまでかかってしまった。
 メールに添付して送付したが、また来週明けに、この続きを書いて送る、と宣言してしまった。
 常に自分を追い込む性格である。やれやれ。
  
5月10日(月)「怪しい虫・・・の風さん」
 職場の同僚と勉強のために別の製作所へ出張した。
 現場見学しながら学ぶのである。
 工場に着いて、制電安全靴に履き替えて、屋内へ。
 見学する現場はクリーンルームが多いので、つなぎのクリーンウェアに身を包む。
 頭から爪先まですっぽりと覆うので、宇宙服を着た感じになる。
 内部では電子製品を製造しているので、異物と静電気に対して、非常に気を遣っている。
 そのための工夫がたーくさんあるのだ。
 昼食をはさんでたっぷり見学することができた。
 仕事を終えて、借りていた制電安全靴を脱いで、自分の靴に履き替えたら違和感がある。
 そのままトイレへ行くことにした。帰りもミッシェルでロングドライブになる。
 廊下で靴を脱いでみたら、変なものが飛び出した。
 黒くて細長い。
 靴の中で踏みつけたので死んでいるようだが、怪しい虫だ。やや小ぶりの蛍みたいな。
 ゴキではなかった(^_^)。
 しかし、胸の鼓動が高まる。
 日中降ったらしい雨は上がっていたが、どんよりした空の下、ミッシェルを軽快に走らせて家路についた。
 
5月11日(火)「疲れてだめだめ・・・の風さん」
 急に冷え込んできた。どうも天候が不順である。
 出社して、元気なうちにやりたいことをやろうと思っていたら、珍しく電話がじゃんじゃんかかってきた。
 昨今はメールでのやりとりが多く、電話が鳴って取っても迷惑電話だったりする(マンション経営の誘いが多い)。
 だから、まともな電話は珍しかった(笑)。
 しかし、そのために、午前中がすっかりそれでつぶれてしまった。
 帰宅して、夕食後にさあ執筆だ、と力んだが、すぐに疲労感に襲われた。
 結局、冴えない一日になってしまった。
 こんなときいつも思うのが、量産作家の楠木誠一郎さんはすごいな、ということ。
 たとえ私は専業作家になっても楠木さんのように量産するのは無理だろう。時間があっても気力、体力が続かないから。
 やれやれ。

5月12日(水)「激しく動き回る風さんの巻」
 今日は好い天気になった。
 元気なうちに行けるだけ行こう作戦で一日が始まった。
 製作所へ出社し、自分のPCのウィルスチェックを仕掛けてから、某製作所へミッシェルで出張した。
 途中、ちゃっかり郵便局に寄って振り込みをした。
 月曜と同様にけっこう遠い製作所への出張だったので、コンビニで缶コーヒーを買って飲みながら、ケータイで取材関係の電話。
 ようやく目的の場所にたどり着いた。懸案事項が一つ解決した。あとは手続きをやるだけ。しかし、全部一人でやるので、大変なことは大変だ。と言って、秘書を雇うだけの余裕は全くない。
 某製作所で用事を済ませた。これも懸案事項なのだが、行動していれば、必ず前進するものだ。もっとも行動しているのは、ほとんど私一人だったりする(笑)。なーんだ、作家も会社員も同じじゃん。
 再び製作所に戻ると、昨日学位論文CDを届けた元上司から席に電話があった。BMWでドイツを突っ走った話で盛り上がった。
 今夜は、ほんの少しだけ執筆に手を染めることができた……が、すぐダウンしてしまった。

5月13日(木)「やれどもやれども仕事が片付かない・・・の風さん」
 今朝の4時過ぎ、2階から1階へ降りたら、階段の下に放置してあるダンボールの上に怪しい物体を発見した。
 赤茶色のちびゴキだった。死んでいたので、我が家のゴキ退治屋のペコの仕業かもしれない。よくやった!
 出社し、午前中に、次々に仕事をこなしていった。元気で、行動していさえすれば、仕事は少しずつでも片付くものだ。
 しかし、これが終日続かないのが痛い。まだ体力的に本調子でないからだ。
 午前中、本当に高密度で仕事をしたので、昼休みに、家から持って来たチョコ・バナナ・クレープを食べた。昨夜、ワイフが冷蔵庫から出したものだが、私はダウンしてしまったので、食べられないまま朝になってしまい、執念で会社まで持って来たのだ。
 しかし、出掛けにワイフから、
 「そんなもの食べたら、お腹こわして死んでしまうよ」
 と警告されていた。
 食べたら美味かったので、腐ってはいなかったと思う。要冷蔵の食べ物だが、まだ夏じゃないし……。
 その後も、内蔵に異常は感じられなかった。
 午後も、あれこれと仕事をたくさんしたが、片付けるそばから、仕事は新たな展開と局面を迎えた。
 帰宅してからも忙しかった。
 
5月14日(金)「久しぶりの夜行バス・・・の風さん」
 昨夜頑張って用意した、算額見学を希望している神社への郵便物を、投函した。たとえ数ヵ月後になっても実現してほしい。
 さらに、やっと交渉先が分かった画像データの保有先へ、図録を発注した。
 そのようなことをしながら、夜になって、それで一日が終わるわけでないのが、風さんのメチャクチャな行動パターンである。
 久しぶりに夜行バスで上京である。社会人学生として3年間も楽しんでしまうと、得るものは当然はかりしれないが、しっかり貧乏にもなるのである(笑)。
 しかし、作家デビュー前や、まだ若くて元気だったころは、よく利用したものだ。
 通学定期もなくなったので、名古屋までの電車賃までが、軽い財布に重い負担になる。
 名古屋駅近辺のコンビニでチューハイを1個買ってバスに乗り込んだ。
 出発してすぐあられをつまみに飲み出して、午前零時前には爆睡状態になってしまうのだから、これからも夜行バスがいいかもしれない。

5月15日(土)「佐原取材・・・の風さん」
 今回はJRバスでなく名鉄バスを利用したので、中央道を通って新宿に着いた。途中で一度も目が覚めなかった。
 午前6時、バスから下車してみると、風景がぴんとこない。西口のはずなのだが。
 それもそのはず、都内で新宿まで電車で来て降りると、たいてい地下に出る。今、着いたところは、そこから言えば1階上の世界である。
 それにしても気分はいいぞ。気持ちだけは若いので、元気がある。なるべく鏡を見ないようにするのが秘訣だ(笑)。
 しかし、いつまでもそうしているわけに行かない。
 トイレを探して、遠近両用メガネからコンタクトへ変更し、重い荷物をコインロッカーに預けて、それでようやく一日のスタートが切れるのだ。
 今日のスケジュールは数日前まで決まらなかった。
 もちろん今は決まっている。
 千葉県佐原(さわら)の伊能忠敬記念館を訪問するのである。
 目的は、連載で展示品の写真を使用させてもらうことである。
 JRの成田駅まで順調だったが、そこでトラブルに巻き込まれた。ポイントの故障で、電車がすべて止まっていたのである。駅員は「1時間は駄目でしょう」とこともなげに言う。
 それでもへこたれないのが、風さんの強いところだ。
 せっかく成田まで来ているのだ。初めて成田山新勝寺をお参りすることにした。
 毎年大晦日の夜、NHKで除夜の鐘として映像が紹介される人気のスポットだ。
 アップダウンがあって狭い参道をゆっくり歩いて、立派なお寺に出た。まだ朝が早いので観光客は少なかったが。映画のロケに使えそうな、懐かしい店が付近にいっぱいある。
 本堂でろうそくにも火をつけ、しっかり参拝し、今年新車に買い換えることができなかったワイフのために、交通安全のお守りも入手した。
 1時間後に駅に戻ったが、まだ復旧していなかったので、近所のミスドで休憩した。
 朝食が280円で、ここでの休憩代が320円である。今日は食事でお金を使いたくない。
 1時間半待って、ようやく改札を通ってホームへ立つことができた。
 しかし、それから出発するまで、また長かった。
 到着したのが旧式のディーゼルカーだっただけでなく、JR成田線は単線だったのである。
 天気は抜けるような青空で、しかし、空気は乾燥しているからそれほど暑くない。絶好の取材日和だろう。田舎田舎した窓外の風景を眺めながら、とことこと列車は走った。
 新宿から2時間かかる予定だった佐原へ4時間かけて着いたが、まだ午前中だった。ワイフにメールすると「早起きは三文の得」と返信が来た。そのワイフも三文の得らしく、今日もタカラヅカの観劇である。いいね、のんきで。
 観光地であることを前面に打ち出した佐原だが、私の目的は限定されている。
 徒歩でひたすら取材だ。
 先ず、伊能忠敬の像が立っている公園へ。
 実に大きな像だ。
 それから、さらに歩いて、旧宅を見学。そして、やっと記念館に入った。
 やはり館内は写真撮影禁止だった。
 順路にしたがって、じっくりと見学したが、時間と共にうれしくなってきた。なぜかというと、実に正確かつ正直に展示と説明がされていて、記念館のまじめな姿勢を感じたからだ。
 郷土の偉人なのに、これだけ客観的に史実を展示しているのは頭が下がる。
 けっこう詳しい私としても収穫は多く、中でも、江戸に出てくる前の佐原時代の展示に感動した。名主として問題解決に取り組んだことと、関西旅行の記録である。いかに佐原時代から優秀であり、かつ天文暦学に真剣に取り組んでいたかがわかった。
 学芸員が不在だったので、受付で資料借用申請の方法を聞き、満足して記念館を後にした。気分は今日の青空と同じだった。
 おみやげを買いながら駅まで歩いて、乱れたダイヤの中、次の列車の出発時刻を駅員に尋ねると、なんと50分後だった。
 それなら昼飯でも食べて時間をつぶそうかと思って、元来た道を戻ると、バス停に人がいる。ほどなく京成成田駅行きのバスが来た!
 50分待ってディーゼルカーに乗っても、そこからまた40分かかるのだ。1時間かかるバスに乗らない手はない。しかし、料金はいくらかかるのだろう。
 整理券をもらって乗ってから、料金表を眺めているうちに青ざめてきた。まるでタクシーのように料金がはね上がっていく。30分経過したところで、もうJRの料金とほぼ同額になってしまった。以前の風さんなら全く気にならないのだが、今は超貧乏である。10円でも節約したい。
 ところが、そこから不思議なことに、行けども行けども料金が上がらない。
 どうやらすごい迂回路を走っていたようだ。
 こうして1時間後、JRとほぼ同額で京成成田駅前に着いた。
 次のスカイライナーまで時間があったので、近所のたこ焼き屋で昼食にした。たこぺったんが400円でお茶が100円。だから合計で500円。ここまでで合計が1100円。
 新宿駅でコインロッカーから荷物を出して、ホテルにチェックインしたときには、もうすっかり疲れたいつもの風さんだった。
 ええい、明日まで、寝たり起きたりの中で執筆するしかない!

5月16日(日)「おふくろの様子を見てとんぼ返り・・・の風さん」
 チェックアウト時間ギリギリまで部屋で執筆をした。半分以上はぶっ倒れていたのだが、それでもいくらか執筆は進んだ。持参したアプリルが大活躍だ。
 チェックアウト後も、地下鉄の時間までホテルのロビーで執筆。
 今回は貧乏旅行なので、東北新幹線でも節約した。
 自由席は当然のこと、東京駅から乗らずに、宇都宮駅から乗った。
 そこまで文庫本を読んだ。
 最後の新幹線車中では、アプリルで執筆もした。
 目的地で兄貴に迎えに来てもらい、おふくろの様子を見てとんぼ返りである。
 おふくろはきわめて元気だったので、その点は安心した。
 しかし、さすがに老耄の域に入っていることは否定できない。
 復路は、東京まで身体を休め、名古屋までは夢中で執筆した。
 おかげで、かなり原稿が進んだ。
 帰宅して、午前零時ごろにカレーライスなぞを食べてパワーをつけて、執筆の続きをやり、目標にしていた週末の原稿送付(出版社へ)を達成した。
 寝たのは午前2時ころだ。

5月17日(月)「次は論文投稿だ・・・の風さん」
 次の懸案事項は、20日が締め切りの論文投稿である。
 社会人入学の最後の仕上げとなる。
 有終の美で飾りたい。
 だから、頑張るしかない。
 朝、ミッシェルのMOMOのハンドルを握ったら、最初から巻いてある皮が少し剥げていた。はたしてあと4年乗れるだろうか。いや、その前に、次の週末は群馬県までロングドライブである。
 今夜も書斎であれこれやっているうちにダウンしてしまった。
 ダウンしても頭から論文のことは離れない。

5月18日(火)「忙中また忙・・・の風さん」
 午前4時に目が覚めた。
 風呂に入って気持ちをしゃんとさせてから、再び論文に着手。
 出社寸前に、やっと最後までたどり着いた。全部で7ページの論文である。けっこうな分量である。掲載料もハンパではない。また財布の中を秋風が吹き出す。
 明日の朝、論文を郵送するつもりなので、今夜、完成させるつもりだ。
 会社の仕事は実に忙しかったが、隙間を見つけて、伊能忠敬記念館に電話し、学芸員の方と相談ができた。よかった、よかった。
 帰宅寸前に、地元の大学のお世話になっている先生から突然電話があり、講演を依頼された。ありがたいことである。
 明日までに履歴書を送ってほしいとのこと。もちろん了解した。
 帰宅時、ミッシェルの積算距離計が15万キロを突破した。
 ミッシェルもオーナー(私のこと)も、限界に到達しかかっている。
 お互い励まし合って頑張るしかない。
 帰宅して、履歴書を用意して先生へお送りしたが、午前零時近くまでかかった。
 それから論文の仕上げ……は無理だった。
 あとは明朝だ、といつものように開き直って書斎でダウン。

5月19日(水)「雨の中、論文を郵送・・・の風さん」
 念を入れて、目覚ましをセットして書斎でダウンしていた(笑)。
 これだけしょっちゅう書斎でダウンしていると慣れたものである。
 しかし、セットした時刻に目覚ましが鳴っても、起きることはできなかった。
 私は疲れすぎていた。
 それでも、論文執筆の続きをやった。
 外は雨である。
 佐原の青空がなつかしい……そんなことを言っている場合ではない。
 次女もワイフも長男も家を出て、ペコと二人きりになったが、ペコと遊んでいる余裕もなかった。
 ひたすら論文の完成度向上に努めた。
 ようやく出せるレベルになったので、印刷して、レターパックに入れて、出社前に郵便局に寄って投函した。締め切りは明日だが、きっと間に合うだろう。やれることはすべてやった。
 正式な論文なので、査読が入る。
 たとえどれだけ訂正指示があろうとも、必死に対応すれば、論文誌に掲載される。
 やりがいのある仕事だ(掲載料は頭が痛いが)。
 出社し、仕事をしながら、次の懸案事項がもう頭をよぎっている。
 週末は群馬県で、また小説の原稿も送付しなければならない。
 外は憂鬱な雨降りだが、気持ちは常に前向きだ。

5月20日(木)「めまいが……の風さん」
 昨夜は早く就寝し、早起きして頑張ろうと思っていた。
 確かに早く目は覚めた。ところが、様子が変である。
 いつもの書斎でごろ寝でなく、ベッドで目が覚めたから様子が変、と言うのではない(笑)。
 目が回る。めまいである。久しぶりにめまいに襲われた。
 もう1時間寝ようと思って、うつらうつらして、1時間後に起きてみたが、真っ直ぐ歩けない。
 トイレに行って、顔も洗ってみたが、だめ。
 また、ベッドに逆戻りした。
 出社時刻を遅らせて、何とか会社へは出たものの、不調。
 それでも、やれるだけのことをやって、昼になった。やれるだけのことの中には、3月の松山での算額展の成果がある。
 算額展では「算額の問題に挑戦しよう」という企画があり、よくこの話をする職場の同僚にも、問題を紹介してあった。
 彼は、律儀にも問題を解き、応募までしてくれた。そうしたら、見事に賞品が当っただけでなく、その解答の仕方が、愛媛和算研究会の会長の目に止まって、激賞されたのである。その結果を本人から聞いていただのだが、私のところへも会長から手紙が届いて、「ひょっとして会社の方ではありませんか」と書いてあったのである。
 それを、今日、本人に伝えることができた。
 よかった、よかった、めでたし、めでたし、である。
 午後から、出張した。
 JMAの生産技術研究部会の仕事のけじめの一環でもある。地元の大学の先生をお訪ねして挨拶してきた。
 私の学位取得についても、大変喜んでくださり、私もうれしかった。
 学位取得に関しては、多くの方へ報告しているが、反応はまちまちである。
 やはり大学の先生が例外なく評価してくださる。
 反応のない人もいて、そのギャップに驚くが、仕方ないことなのだろう。
 出張先からの帰りに、駅で「ファイト〜、一発!」のリポDを購入して飲んだ。
 全国和算研究(松山)大会に参加した頃、『美しき魔方陣』出版直前の頃も、こういった「めまい」状態だった。

5月21日(金)「蛍光灯がぶっ飛んで、変な電話があって・・・の風さん」
 昨夜も早めに就寝して、今朝早起きして頑張ろうと、二日連続の試みをした……が、あえなく失敗。
 昨日はちゃんとベッドで寝たから失敗したのだろうと、今日はわざわざ書斎でごろ寝をしたのに失敗したのだ。
 おまけに真夜中に、書斎のインバータ付き天井灯が……消えた。蛍光灯の球切れである。
 結局、早起きはできず、明日からの高崎行きのため、大事をとって有休にすることにした。
 午前中は、雑用を少しこなして、午後からの準備にそなえようとした。が、これすら失敗。
 昼食に、卵かけご飯を1杯食べて、リビングのソファに横になってすぐ爆睡してしまった。
 いったいどれだけ寝たら体が満足するのか。
 夕方ふらふらと起き出して、冷蔵庫からアイスクリームを探し出して、舐めながら書斎に入ったところで、変な電話がかかってきた。
 町内会に住む人からの苦情相談で、かつて役員をしていた我が家へ持ち込んできたのである。
 その人いわく、近所の人の行動が気に入らないということで、自治会費の集金、ごみ出しのルール違反、飼っている猫に対する濡れ衣等々であった。
 たっぷり寝て元気がよみがえっていた私は、言ってやった。
 「文句があるなら自治会長に直接言いなさい。それより、気に入らない人が近所にいるのは、ごく普通のことですよ。学生の頃、同じクラスに一人や二人、気に入らない人がいたでしょ? 400人もいる町内なのだから、変な人はたくさんいる。それは普通のことです」
 明日は小栗まつりで出かけるので、それから復習を開始した。

5月22日(土)「小栗まつりへGOGO・・・の風さん」
 昨日は疲労回復と「小栗まつり」出席のための復習に使ったので、寝る前に久しぶりに何か飲もうと(もちろんアルコール)冷蔵庫の中を物色したら、見たことのないビールの仲間を発見した!
 外観はビールで、中身はリキュールらしい。でも、味はビールによく似ていた。
 就寝前に酒を飲んだのは、もう1ヶ月以上記憶がない。
 そんなわけで(どんなわけ?)起床が遅くなり、出発が10時近くなってしまった。
 しかし、ミッシェルを昨夜、夕食後に満タンにしてあったので、給油を気にせず走らせることができる。
 明日は天気が悪くなるが、今日はなかなか穏やかなドライブ日和だぞ。
 とにかくドライバーは私一人なので、1時間半に1回はどこかに寄りながら、目的地を目指した。いつもは運転をしながら英語を聴いているが、今日と明日だけは、音楽にする。これも珍しいことだ。
 こうして気楽に走って、とうとう高速道路を降りるところまで、やって来た。直前のサービスエリアに寄ってみたら、テントショップで「まいたけ」を売っていた。よし、明日帰りに買おう。
 高速道路を降りて、目指すは小栗上野介のお墓がある東善寺である。
 『怒濤逆巻くも』執筆中に取材で訪れたのが最初。2回目は出版後、お礼のお墓参りに編集長とやってきた。いずれもレンタカーである。今回は、ミッシェル。クルマでないと不便なところだ。
 今回の目的は、遣米使節派遣から150周年ということや、高崎市市政110周年もあって、記念のシンポジウムが開催されるので、パネラーとして出席するのが主目的だった。
 ナビの画面から、今日の片道は約400kmということだった。
 燃料計の針を見ると、これからどこかで満タンにしておけば、それで帰りに途中で給油する必要もないだろう。
 そう思ってガソリンスタンドを探しながら走ったのだが、行けども行けどもカントリーロードの風景が続き、小さなタウンすらない。やがて急坂と急カーブが続く山越えとなった。以前は高崎市方面から来たので、こんなことはなかった。すごいドライブになってきた。ラリーのように走る。
 そして午後3時過ぎ、懐かしい烏川のほとり、小栗上野介の顕彰碑「罪なくして斬らる」のあるところまでやって来た。勝手知ったるスポットなので、橋の上にミッシェルを止めて、写真を撮り、顕彰碑のそばにも行った。実際に小栗上野介が斬られたのは、石ころがごろごろしている川の土手のあたりである。
 小栗上野介の無念を思うと涙がにじむ。やはり俺って、小栗公のファンなんだ(ぐすん)。
 そこから4kmくらいのところに、東善寺がある。
 ボランティアの人たちがたくさんテント張りなどをしていた。
 3度目ともなると、自分でさっさと裏山のお墓まで行って、お参りができる。持参のお線香に火をつけて、数珠をつまぐった。
 住職夫妻や戸田ブックスの店長に挨拶をして、いったん今夜の宿へ荷物を置きに行った。
 山奥の立派な宿から東善寺まで送ってもらい、他のパネラーや小栗上野介顕彰会、ボランティアの人たちと一緒に夕食となった。住職がラベルの文字を揮毫した美味しい地酒を飲んで気持ちよく酔ったところで、また宿まで送ってもらった。
 温泉に入った後、他のパネラーの人たちと部屋で深夜まで語り合って、せっかく昨日で回復した疲労がまたぶり返してしまった(笑)。

5月23日(日)「少々ボケのパネラー、風さんの巻」
 夕べの就寝は午前1時半くらいだったが、5時過ぎにはもう目が覚めてしまった。
 老化現象かもしれない。外はまだ雨にはなっていない。
 朝風呂に入っても、まだ朝食の時間にならない。
 部屋でのんびり過ごした。
 ゆっくりした朝食後、シンポジウム会場の小学校へ行った。私はミッシェルで送迎のワンボックスカーを追跡である。
 天気は予報通り正直に雨になった。ただし、風がほとんどないので、少しはマシか。
 会場には続々と聴講者が集まって来ていた。最終的に300人は超えていたのではないか。小栗上野介の人気の高さに驚く。
 他のパネラーは『日本史探訪』などの著書がある元NHKプロデューサーの鈴木健次氏、玉蟲左太夫の子孫で著書もある山本三郎氏、そして木村鉄太の研究者で著書のある平田稔氏である。仙台藩士玉蟲左太夫は正使新見豊前守の、肥後藩士木村鉄太は小栗忠順の従者である。
 鈴木氏の基調講演の後、東善寺住職村上泰賢氏の司会進行で、約1時間半のパネルディスカッションが進んだ。聴講者のほとんどは、小栗上野介に詳しいに違いない。私を含めてちょっと変わったパネラーによって、小栗忠順や遣米使節の新たな側面が紹介されたとしたらうれしい。とはいえ、短いコメント時間にもかかわらず、要領を得ないボケた発言を繰り返した気がする。
 それにしても、会場に、私の知り合いが見当たらない。多少連絡はしてあったのだが、やはり都会でもカントリーでも私は無名作家である。やれやれ。
 昼食はマスの塩焼きの弁当だった。冷めていたのがちょっと残念。
 それから東善寺へ移動して墓前祭を見学した。あいにくの雨で、本堂の中での厳粛な儀式。
 ありがたいことに出版社の人から声がかかって、出版の話題も出たが、最近出版社に失礼なことばかりしている私としては、とっても悔しいけれども、「またよろしく」と言わざるをえなかった。ああ、もったいない(涙)。
 戸田ブックスの販売コーナーへ行くと、持参した文庫20冊はあっという間に売れてしまったとのこと。もっと用意してくればよかったが、今回の準備だけでも、実はとっても大変だったのだ。
 『怒濤逆巻くも』が欲しいという人がまだやってくるので、申し訳なくて、名刺を差し上げたりしたが、戸田ブックスのご贔屓筋には、私が後から直接送ることにした。
 私も戸田ブックスで本を1冊購入し、東善寺では猫用のお守りを買って、いよいよ倉渕を去る時刻となった。
 出発は午後2時となった。
 ナビを見ると、往路と同じ約400kmで、所要時間は6時間くらいだ(当たり前か)。
 ところが、復路は大変なことになった。
 第一は、来る時狙っていた「まいたけ」が買えなかった。サービスエリアは上りと下りの違いはある。しかし、同じところなんだけどなあ。もしかすると、雨のせいかもしれない。
 続いて、塩尻と岡谷ジャンクションの間で事故のために通行止めになっていたのが、最大の誤算となった。
 そのネックポイントを迂回しようと、何度か高速を降りてはまた乗るということを繰り返したのだが、最後は、中央道を戻る形になり、諏訪インターで降りてい伊北インターから乗ったため、今日二度目の山越えとなった。
 次第に夕闇が迫り、雨脚は強く、タフなドライブが続いた。
 途中何度も休憩をとり、夕食も、私には珍しくスタミナ定食を選んで頑張ったのだが、結局、復路は約490km走り、所要時間も8時間半となった。
 疲労困憊だった。
 無事だったのは何よりだが。
 これでは、とても執筆は無理と判断して、さっさと寝る準備をした。ただし、書斎でごろ寝である。朝早く目が覚めたら、頑張るつもりだった。

5月24日(月)「やはり無理はできないか・・・の風さん」
 早く目が覚めたが、めまいがして起きられなかった。
 結局、いつも通りの時間に起きて、朝食を摂って出社したが、めまいが追いかけてきた。
 出版社へ送る原稿は、1日遅れにしたが、絶対に今夜中に仕上げなければならない。
 めまいと仲良くやりながら、長い会社の1日が過ぎて行った。 
 定時で即退社。私は今夜中に原稿を出さなければならない。
 とは言え、ミッシェルはガス欠寸前だった。コーヒー愛好家の私としては、コーヒー豆も買って家に提供する義務がある。
 雨がまだときおりぱらつく中、それらの用事を済ませて帰宅。
 家はもぬけのからだった。空き家ではないし、夜逃げされたわけでもない。ちょっと早く帰宅するといつもこれだ(笑)。
 あ、そうだ、今日はネットに変なニュースが出ていたな。
 電気自動車が満充電で1003km走った! というもの。すごいな、とつい思ってしまうが、使ったのがリチウムイオン電池で8320個、重量が360kgである。
 ガソリン車のタンクを想像してみよ。普通満タンで60リッターくらいだ。水と同じ比重だと考えれば、60kg。リッター10km走るとすれば、60kgで600km走るのだ。
 今回の電気自動車は360kgで1003kmである。ガソリン車なら3600kmは走ることになる。燃費で言えば、ガソリン車がリッター10kmなら、今回の電気自動車はリッター2.8kmである。しかも今回の記録は、テストコースで定速走行をしてのポテンシャル値である。公道での記録は555.6kmだそうだから、ガソリン車に換算すれば、実力はリッター1.5kmとなる。
 液体燃料は高性能電池に対して、重量エネルギー密度や体積エネルギー密度が一桁違うというのが常識である。だから、電気自動車の時代になるにはハードルが高い。
 とにかく朝からめまいがして頭痛もあったので、夕食後に書斎でていねいにダウンした(笑)。
 爆睡している間にワイフがコーヒーを持ってきてくれたそうだが、私は死んだように寝ていたという。
 それが奇跡的に11時半頃、目が覚めた。
 やらねばならぬ。
 老いの一徹で……じゃなかった、あふれるばかりの使命感で、フラフラと立ち上がると、机に向かって行った。 

5月25日(火)「25時間不眠不休・・・の風さん」
 結局あれから再び横になることはできなかった(笑)。
 午前6時半に、とりあえず続きの原稿を出版社へ送付した。
 ほとんど徹夜明けと同じ状態で出社。
 同僚に打ち明けると、「まだ学位論文が続いているみたいですね」と同情された。
 そう。命を賭けた仕事と言ってもいい。ただし、精神的なものではなく肉体的なものとして(苦笑)。
 たとえどんな状況でも、石にかじりついてでも、亀のようにのろくても、作業を続けること、中断しないことの大切さを、3年間で大野先生から学んだ。寝不足で頭が痛かったが、やれることをひたすらやった。
 そんな中で、これまで顧みたことがない、会社の福利厚生のしくみの一つを点検した。せっかく会社が用意してくれた恩典を非効率的に使っていることが判明した。ポイント制度の使用方法なのだが、今後申請しなくても、定年退職までポイントを使う必要がないことが判明したのである。そのポイントは、今後、別の目的に回せるのである。収入が減っている昨今、助かった〜と思った。
 帰宅して、連載原稿で使用する画像を整理して、編集部へ再送信した。
 今夜は早く寝るぞ、とベッドに倒れ込んだ時点で、昨夜から25時間以上起きていた計算になった。
 
5月26日(水)「満月なんだけど・・・の風さん」
 昨日に続いて、会社でも自宅でも、やれることは何でも手をつけた。
 真剣に優先順位をつけ、かまえて取り組んだのでは、今の心身状態では続かないからだ。
 今日も早めに退社した。駐車場に向かおうとすると、大きな白い月が柔らかな光を放射していた。ほぼ満月である。
 帰宅コースを変更して、大型電気店へ。
 先週、夜中に縁起でもない切れ方をした蛍光灯(40Wと30W)を購入しようとした……ら、なーんか変。僕の知らないスリムタイプの蛍光灯ばかりだ。売り場でかなりの時間ウロウロ。だめだー、浦島太郎状態だ。3年間の象牙の塔生活のために、世の中の動きが分からなくなっているらしい。
 売り場の反対側に旧タイプの蛍光灯が売られていた。やれやれ。ボケだ。
 続いて、ひいきにしている薬局へ。
 ご主人は『怒濤逆巻くも』を4分の1くらい読み進んだらしい。鳴海風の本格的な歴史小説を読んでもらうのは、なかなか大変なことなのだとあらためて実感。今度、『怒濤逆巻くも』の参考資料を持って行こう。
 今日は目薬だけ買って帰った。
 5月に入ってだいぶ経つのに、英語の勉強ができない。
 TOEICより、小説や連載の執筆の方が重要だから、今回は悲惨な結果になるかもしれない。ああ、やだなあ。

5月27日(木)「どうもまだ不調・・・の風さん」
 昨夜用意したレターパックを出社時にコンビニで投函。
 定年が近い製作所長に、これまで迷惑をかけたお詫びを兼ねて拙著をプレゼント。
 何でもかんでもやれることをやり続けるのは、今日もとりあえず実行した。
 明日の某大学の訪問調査に対応するため、先輩の本を読み出したのだが、これがなかなかの迫力である。若いころは味わうことができなくても、年季を積んでようやく分かることもあるのだ。
 頑張って読み進んだが、最後までたどり着けなかった。
 午後は会議の連続だったからだ。
 今夜も満月が耿耿と照る中、ミッシェルで元気良く退社。
 しかし、帰宅すると、どんどん疲労が出てくるのだ。明日の準備を家でも始めたが、続かない。とりあえず学位論文CDだけは製作した。
 早めに就寝して、明朝、早起きして頑張ることにした。

5月28日(金)「今日もやるっきゃない・・・の風さん」
 早起きはしたが、イマイチ元気が出ない。しかし、やらねばならぬ、という執念だけで体を動かす。
 この間の小栗まつりのシンポジウムでお世話になった顕彰会の方へ、お礼の葉書を2枚書いた。
 某大学の訪問調査に対応するため、本社へ直行した。
 ギャラリーという名の製品展示室をご案内して、先方の調査の趣旨に対する、私なりの回答の第一弾として、学位論文の一部を紹介した。
 3時間かけたが、良い対応ができたかどうか自信はない。
 次回は、工場を見ていただくのと、先方が期待するテーマに特化したプレゼンをする予定である。
 それにしても、今日も気持ちが良いくらいに晴れている。風がやや強く吹いているので、暑くはない。典型的な五月晴れかもしれない。原稿が順調だったら、胸の中も五月晴れなんだろうが、そうは問屋が卸してくれない。
 帰りに郵便局に寄って、秋田高校の同窓会費を振り込んだ。
 同窓会報によると、今年の卒業生は優秀で、東大に16人が合格した。わが母校東北大学にも60人近くが合格したらしい。理由の一つに、ゆとり教育など関係なく、しっかり勉強させていることがあるようだ。
 またいつか後輩たちへ面白い(夢の抱ける)講演をしてあげたいものだ。 
 
5月29日(土)「1年ぶりに英語の勉強に集中・・・の風さん」
 明日のTOEIC試験がピンチなため、今朝の歯医者をキャンセルして準備に入った。歯科医院近くの図書館へ行くのも中止した。
 TOEICは1年ぶりで2回目なので、先ず試験のスタイルに慣れようと考えて、ハーフ模試に挑戦した。
 いちおう睡眠は十分だったので、1時間集中力は続いた。しかし、後半がどっさり手付かずで残ってしまった。やはりあらゆる作業スピードが著しく低下している恐れがある。運動能力の低下は老化が原因だろうからある程度は止むを得ない。しかし、これからの人生、今が一番若いはずなのに、こんなことでどうする?とも思ってしまう。やれやれ。
 続けて、一問一問分析しながら勉強を開始した。
 ……。
 恐ろしいことに、午前零時まで頑張ったが、この分析しながらの勉強が終わらなかった。
 やばい。本当にのろまになっている! 感覚的に、自分の目標と実体には2〜3倍の開きがある。
 お陰で、週末、月末の原稿執筆に全く手がつけられなかった(涙)。
 睡眠不足ではできるものもできなくなるのが分かっているので、さっさと就寝した。
 
5月30日(日)「やっと小説の原稿がラストに到達?・・・の風さん」
 母の日のプレゼントを兼ねたランチに出かけるワイフと時間が合わず、徒歩で最寄の駅へ。
 今日も五月晴れだ。歩くのが気持ちいい(負け惜しみではない)。
 学生定期がなくなったので、電車賃ですごく損をしている気がする。貧乏していると発想が貧困になるので寂しいな。
 地下鉄を乗り継いで試験会場に早めに着いた。今回は某私立大学である。なかなか立派なキャンパスだ。
 受付も2回目の経験で慣れた気がする。試験も落ち着いてできるといいのだが。
 コンビニで買ったおにぎり2個で昼食にして、教室に入った。
 (しまった。もっと早く入って、答案用紙の調査欄を埋めておくのだった)
 利き手が不自由なので、マークシート方式も書き込みに時間がかかるのだ。
 昨年より楽になったのは、リスニング試験でガイダンスを聞かずに、それを次の問題の準備にあてられたことだ。
 しかし、何を言っているか分からないものは分からない。
 リーディングも、完璧を狙わず、どんどん解くように心がけたが、昨年よりもできなかった。手付かずの問題がたくさん残ってしまったのだ。運動能力が明らかに落ちているということだろう。
 ただし、帰宅してから執筆があるので、極力心身を消耗しないようにしたのは成功した。
 なぜなら、帰りの電車で爆睡することなく小説まで読めたのだから。
 帰りもワイフのスケジュールと合わず、駅から徒歩で帰宅した……ら、玄関の鍵がかかったままで、また締め出された(笑)。
 庭にあるログハウスに入って、ひと眠りしようかと思ったら、長男の部屋の電気が点灯している!
 (なんだ、あいついるんじゃないか!?)
 ケータイに電話したら、長男が出た。
 「玄関、開けてくれ」
 深夜までかかって、取り組み中の小説の下書きが、ようやくラストに到達した。仕上げは明日だ。

5月31日(月)「うれしくもあり悲しくもあり・・・の風さん」
 欲しい本が絶版だったので、たまたまアマゾンに出ていた古本を買ったら、怪しい古本が届いた。
 図書館の本がよくそうしてあるように、ラミネートでカバーされていた。おまけに管理番号のタックシールが貼ってあり、カバーの裏には所蔵機関のスタンプまで! しかも、私が知っている某機関だった。
 それで、盗品ではないかと疑って、しかるべき筋から調査してもらうことにした。
 盗品ならアマゾンに連絡して、本は某機関へ返却しなければならないだろう。
 調査結果は半日後に届いた。古い本は整理するので、盗品ではなさそう、とのことだった。
 気に入って買った良い本なので、手放さなくてもいいのはうれしいが、整理した可能性が高いと聞いて、寂しい気がした。うれしくもあり悲しくもあり、というのはこのことだ。
 帰宅したら、文句なしにうれしい手紙が届いていた。
 全力をあげて見学をお願いしていた、某神社から、算額見学の許可が出たのである。
 大阪の小寺先生へ報告すると、日本数学史学会の記念行事にしようか、というので、諸手を上げて賛成した。
 たぶん秋ぐらいに実現するだろう。
 とにかく、努力した甲斐があった。
 その勢いで、昨夜下書きが完了した小説の仕上げに着手した。
 今夜はできるまでやるっきゃない!

2010年6月はここ

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